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バリ島(海の幸)ちばらやーさい

インドネシアの楽園バリ島に初めて訪れたのは1998年12月世界一周船旅にて。一年半年後の2000年6月には、バックパッカーによるアジア長期横断放浪旅で再訪した。ジャワ島からバス&フェリーで縦断したが、ウブドは自分のお気に入りスポットだ。当時の日記より抜粋。

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写真左よりゴア・ガジャ遺跡にて。/バリ島・キンタマーニで食べたドリアン以上1998年撮影。/ジャワ島からバリ島に渡ったフェリー2000年撮影

≪ジャワ島からの夜行バスはようやくウブン・バス・ステーション到着。バリ島とジャワ島では時差があり、バリ島が1時間早い。「クタへと行く」という日本人女性2人組とはここで別れる。すると、同じバスだった白人が声をかけてきた。「これからどちらまで?」。僕が「ウブドゥに行きます」と答えると、「私もよ。一緒に行きませんか」。彼女はドリー、ドイツ人だが4年ほどロンドンに住んでいた。バスは満員。座るスペースを作るため、大きなドリーのリュックを僕の膝に乗せる。ずっしりと重い。こんな荷物を持って歩き回るなんて僕にはできない。

ウブドに着いた時は夕方4時、車内で声をかけてきた地元人は知り合いがロスメン(安宿)を経営。客引きをするためわざわざバスに乗っていた訳でないと、何となく感じた。「案内するので見て欲しい」という彼に、あてのない僕らは付いて行く。トゥブ・サリ・ホームステイというそのロスメンウブドの中心地から離れているのが玉に傷だが、あたりは緑が多く静かだった。朝食付1泊2万ルピアと安い。ドリーは僕に聞く。「どうします?」。「もう遅いし、ここに決めるよ」と言うと彼女も賛成。

その後、宿近くのダラム・プリ寺院でグヌン・サリ舞踊団ガムラン舞踊を鑑賞。観客は予想に反し日本人が多い。一体、どこから沸いて出てきた?ショーは楽しめたが想像していたものとは違った。しかしドリーに感想を問うと、「エキサイティング!」。帰る頃に突然のスコールに見舞われたが立ち話をしているうちに止み、ドリーとジャズ・カフェへ飲みに行く。≫

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写真左よりグヌン・サリ舞踊団のレゴン舞踊。/芸術の町ウブドの町並。/ウブド、ケチャ・ダンス以上2000年撮影

≪部屋の前にあるテラスでくつろいでいると、宿の従業員が朝食とポットに入れた紅茶を持ってきた。バナナ・パンケーキとフルーツの盛り合わせ、自分にとっては豪華な朝食だ。その後、ドリーとウブドを散策。芸術の村といわれるだけあって、通りにはギャラリーが多い。観光客は多くないが、それでも日本人の姿は時々目に付く。大抵は若い女性の二人組か、新婚らしきカップルばかりだった。

宿から歩いて15分ほどの場所に、プリ・ルキサン・ミュージアムという看板。森の中の長い通路を奥に歩くと、博物館はあった。ウブドが生んだ様々な芸術家のアートが展示されていた。館内で少数編成のバンドが奏でるガムラン音楽も心地良い。遅目の昼飯にナシ・ゴレンを食べた後、市場を歩く。

夜7時、ハヌマン通りのパダン・トゥガル・カジャ集会場でトレナ・ジェンガラによるケチャ・ダンス鑑賞。入場料は20,000ルピア。ケチャは大勢の踊り手と歌い手によって演じられるバリの伝統的(でもないが…)ダンスで、楽器は一切使われない。昨日のガムランとは好対照だが、焚き火を囲んで踊り手と歌い手が演じる様はキャンプ・ファイヤーに見えなくもない。インドの叙事詩「ラーマーヤナ」をベースにしていて、ドラマティックな展開。わかりやすく楽しめるショーだった。≫

≪今日は星が出ていた。宿の客は相変わらず僕とドリーだけ。僕の英語ボキャブラリーは乏しいので話題も尽きる。虫の音を聞きながら、お互いただひたすら星空を見上げた。翌日、オーストラリアに飛ぶというドリーは宿を去る。彼女いわく、「バリはジャワ島と比べると物価が高過ぎる」。その後、じゃらんじゃらんと散歩しメイン・ストリートの旅行代理店でバンコク行片道航空券を購入。

夜はクトゥ村寺院でガムラン鑑賞。ショーの前、通りに面した小さな売店でコーラを買う。店のおばさんとは、ここでも経済格差に絡む話題になった。でも‘私は幸福だ’と言い切った彼女、本当に生活を楽しんでいる気がした。「そろそろダンスが始まるので行きます」。そう言うと彼女は破竹の笑顔。「あら、そうなの。そのショーなら私の子供も出ているの!」。

アナンガ・サリ歌舞団によるドルマ・デュタという舞踊劇(‘チンタ・インドネシア’記事に写真あり)、最初は演奏と踊りのタイミングが合わずミスが目立った。一体どうなる事やらとハラハラしたが、進むにつれて調子が乗ってくる。劇が終わり、数少ない観客とスタッフ全員は握手。和気あいあいとする会場を背に、僕は宿へと歩き始めた。先ほどまで踊っていた舞子達、一人、また一人とステージ衣装のまま道路脇の自宅へと吸い込まれていく。その一人と目が合う。相手はニッコリと笑った。しばらくすると背後から一台のワゴン車。「どこへ行くの?送ってあげるよ」。ステージで演奏していた人達だった。「いえ、すぐ近くだからいいですよ」と言うと「OK。ハブ・ア・グッドナイト!」。そういって去っていった。ささいな事だけど嬉しくなった。

宿に戻り、テラスで寝る前の紅茶。すると何とドリーが現れた。オーストラリアへ行くのを延期したそうだ。ウブド王宮のバーで飲んでいた彼女、醸舌だった。結局、彼女もバリを気に入っているのだった。≫

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写真左よりウブド、モンキー・フォレスト・パークにて。/バリ・ウブドで泊まったロスメン、Tebe Sari Homestay。/ネカ美術館の絵画以上2000年撮影

≪ドリーと共にネカ・アート・ミュージアムに足を運ぶ。ここには様々なウブドの絵画や彫刻が展示されていて、トリック・アートっぽい一枚の絵に僕はちょっと心を奪われ、しばし見入った。ウブドの街を散策して時間を潰した後、宿に戻って荷物を整理。昼3時過ぎにドリーと別れた。彼女もこの宿をチェック・アウト、重いバックパックを背負って去っていった。しかしオーストラリアに飛ぶのは未だ先なんだそうだ。夕方、ウブドからバスでデンパサール空港へと向かう。搭乗時刻までの間、空港の土産物屋を冷やかす。ジャカルタのデパートで35,000ルピアで売られていた音楽CDが、ここでは140,000ルピア

日本帰国用のチケットを見せて下さい」。…出国手続きの時、イミグレにいわれた。そんな物はない。だっていつも片道チケットだもんね。係員は少し戸惑っていたが、賄賂を請求されるような事もなく、幸いにもすぐに開放される。夜8時15分のガルーダ・インドネシア航空の飛行機でタイ・バンコクへ飛ぶ。ドンムアン国際空港からアジア最大の安宿街カオサン通りに着いた時、既に深夜1時を過ぎていた。それでも常宿PCゲストハウスにはシングルの空きがあり、ホッと一安心。≫…旅は‘カラチの憂鬱(パキスタン)’記事へと続く。

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■ダイソーの100円シリーズ、「通じる!かんたんインドネシア語会話」の本とCD。バリ島で使えます、たぶん。両方買っても210円(税込)。自分はインドネシア≒マレーシア語の歌をしょっちゅう聞くので、意味が分からないのに単語はやたら知っている。この本を読んで目からうろこ。

◆ところで、自分がバリ島ウブドを知ったのは1996年である。漱石の孫、夏目房之介氏が描いたマンガ集「名作 1」にこの村が登場しているのを読んで興味を持った。実際に行ってみて判ったが、夏目氏の表現はまさにウブドを言い表している。自分の頭にもヤシが生えた。他には、今はユニットを解消してしまったKuma*Kuma&よねやまゆうこ氏による「バリ島バリバリ」や、かなり古い本だが大竹昭子&内藤忠行氏による「バリ島 不思議の王国を行く」もお勧めバリ島本として挙げておきたい。

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